ぼらんてぃあ雑記帳 第6回 「オキナワ」
 
  南米の真ん中にボリビアという国があります。そこにオキナワ村という村があります。1999年、日本人ボリビア移住100周年で、TVの特集番組があったり、ニュースで式典の様子を報道していたので覚えている方もいるかもしれません。

 第二次世界大戦が終わって、アメリカ軍が沖縄に基地を作ったとき、その土地でもともと農業を営んでいた人々に代替地として提供されたのが、地球の裏側ボリビアの土地、それも道路もないジャングルのマラリア汚染地域だったのです。ボリビアのオキナワ村はボリビアにありながらアメリカの治外法権が認められ、アメリカの「飛び地」でした。日本の沖縄が祖国復帰を果たして沖縄県になったとき、オキナワ村も日本になりました。そしてほぼ同時期にボリビアに統治権が返還されたのだそうです。

 私はボリビアで、ソーキそばの味を知りました。ゴーヤーチャンプルーもサーターアンダーギーもエイサーも島唄もみんなオキナワでハマリました。帰国したら絶対沖縄に行く。行って彼らの故郷を、そして基地を絶対見てくる。そう決心していたのに、いざ帰ってくると沖縄は遠かった。

 その沖縄に今回のGWやっと行ってきました。札幌から直行便で3時間半、やっぱり遠かった。ロシアのほうがよっぽど近い。空港に着いてまず向かったのはひめゆりの塔。沖縄に行ったら最初にここと摩文仁の丘へ行き、観光するのはそれからにしようと決めていたんです。

 ひめゆりの塔はTVや教科書、本で何回も見ていたのに全然違う!塔の岩肌、湿った空気と濃い緑と壕のあと。TVじゃ空気まではわからなかった。手を合わせると息が苦しくなって目が熱くなってきて、あれれ?と思っている間に涙が出ていました。戦争の事実は知らないけれど、この戦争の跡を忘れちゃいけないと真剣に思いました。

 摩文仁の丘にある平和の礎では祖母の兄の名前を見つけました。祖母が小さい私に語ったお兄さんの思い出。祖母の話の中だけの人だった「貞己さん」が私の中で現実の人になりました。セミの鳴き声を聞きながら夫が言った「あの8月はこれよりもっと暑かったんだよね。」の言葉に、どんなに北海道に帰りたかっただろう、雪見たかっただろうに・・・と思うとまたまた涙が出てきちゃって、汗と涙と息子のよだれで私の顔はグシャグシャ。

 亡くなった人の人生はもちろんだけど、生き残った人の人生も大きく変えた戦争。死んだ祖母の兄。生き残ってボリビアでオキナワ村を開拓した人たち。そして私が知らないたくさんの人たちの人生。摩文仁の丘は、生きてるってことを重く感じる場所でした。

 去年のアメリカの同時多発テロが起こったとき、一部では戦争が起こって日本も巻き込まれるのではという記事が流れました。「戦争だ!」という空気をあおるのも問題だとは思いましたが、それよりも、多くの日本人の「平和ボケ」ぶりには恐怖を感じました。

 ある企業のメルマガで「テロも気になるけど、もっと気になるのはやっぱりおしゃれ」みたいな記事があって、即刻、登録解除したことがありました。また、ある中年女性の発言「テロだの戦争だの言ってるけど、世界の平和より家庭の平和が大事よ!」この人は戦争になったら自分の夫や息子が死ぬかもしれないということが想像できないのでしょうか。国が平和だから家庭の平和があるってこと、どうしてわからないのでしょう。

 戦争は起こるんじゃない。自分が起こすんだってことを認識できない人がなぜこんなに多いのでしょう。たしかに戦争を始めるのは政治家。でも、その政治家を選ぶのは自分なのだから、責任は自分で持たなくちゃいけない。

 北朝鮮亡命希望者かけこみ事件で問題になっている瀋陽の総領事館勤務外交官のような国家主権に対する認識、危機管理意識しか持たない人たちに戦争できるはずがない。今いろいろ論議されていますが、戦争できない国民が「戦争が起きたときのための法律」持ってどうするんでしょうね。なんだかんだ言っても日本っていう国はアメリカ合衆国の軍事力の下で生きていくしかない。とすると沖縄の基地は日本に必要だってことになる。うーむ。

 沖縄ネタは次回以降も続きます。しばらく、お付き合いください。